村田大輔の本音で朝ブログ

村田の日記のようなものです

高校受験

ドラゴン桜を見終わって、自分の受験期のことを色々と思い出しました。というわけで今回、僕の受験期を振り返りたいと思います。

僕は受験を2回経験しました。高校受験と大学受験です。

今回は高校受験の話をします。

・学校選びについて

中学3年生の僕にとって、高校を選ぶ一番の条件は野球でした。だから野球が高いレベルでできる高校に行きたかった。しかし、僕の地元の浜松の高校は甲子園に行くような学校がなかった。だから、地元の浜松の高校に行ったらダメだとなんとなく感じていました。あととりあえず浜松から出たかった。市外の高校に行くっていうのが単純にかっこよかった。でも実家を離れて暮らすとこまでは考えていませんでした。

 

そこで僕は甲子園にも行ったことがあり、進学校でもある浜松の3つ隣の市の高校へ行こうと思いました。そこの学校説明会にも行き、野球部も見て、行きたいと感じました。そんな時に偶然、その高校の部長さんに見てもらえる(セレクションみたいなもの)という話をいただき、僕はそのセレクションを受けました。見てもらった結果、野球では取れないよということでした。つまり不合格。勉強でくるならいいよと言われました。でも、そのおっさん、めっちゃ偉そうな顔で上から目線でむかつきました。直感でここには行かないほうがいいなって思った。まあ、いま思うと自分に野球の力が足りなかっただけなのに、その時の僕はそんな態度でくるなら絶対行かないと決心して、その高校に行くのはやめました。(あとでこの決断をして良かったと何度も感じました。)

そして、浜松の隣の市にある磐田南高校に進路変更しました。磐田南高校は僕が行っていた野球塾の方に紹介してもらいました。実績はそこまでないけど、監督がしっかりした野球をするからと言われ、そこそこ単純だった僕は磐田南高校に決めました。

甲子園も大事だったけど、大学野球もその時からやりたいと思っていた。だから磐田南でしっかりと2年半野球をやって、勉強して、強い大学に行って野球をやろうかなと考えてました。

 

しかし、磐田南は甲子園の道のりはめちゃくちゃ遠い高校でした。実際に僕が入学する前まで、2年連続で夏の大会初戦敗退してました。

最初は甲子園に行けるような高校へ行こうと思っていた僕だけれど、勉強のレベルがそこそこ高くて野球もそれなりにしっかりできて、実家から通えて市外の高校となると磐田南ぐらいしかもう選択肢がなかったです。

 

・勉強について

中学時代は1年の最初のテストで学年3位を叩き出しましたがそれ以降、順位は下がっていきました。多分、1年の後半から3年の夏くらいまでそこまでまじめに勉強してなくて、テスト前も出された宿題だけやって終わりって感じだったからです。でもなんとか点数は取れていたし、順位も最低でも学年30位くらいでした。多分中学生なりに効率よくやろうとしてたんだと思います。

しかし、3年の夏から塾に通って本気モードになりました。当時、謎の自信ありました。俺は今まで勉強やってなかったから順位が上がらなかっただけ。まじめに勉強やったらすぐ上がるわって思ってた。やってないやつだからこその自信。これわかりますか?笑

そして、生意気かもしれないけど、塾に入って勉強したらあっという間に点数は上がりました。なんでだろうか。

学力が上がっで高校合格できた要因として、まずは、俺は今までやってなかっただけでやればできるっていう謎メンタルがあったから。そして、塾のテキスト、教え方が良かったから。あとは、多分、中学生ってまだまだ子供だから、勉強しているようで実際、あんまり勉強してなかった人が多かったのかな。中学生で志望校に行くんだって気持ちをしっかりと持って、普通より少しだけ高い意識レベルで勉強を頑張れた。さらに田舎だし競争率も低かったからっていう理由もある。

 

まあ高校受験はこんな感じでやって受かりました。正直、あんまり苦労はしなかったです。

 

一つだけ後悔があるとしたら、実家を離れるという選択をして野球の強豪校に行っても面白かったかなということ。

磐田南に入って、チームとしての基礎ができていない0の状態から1に持っていくような活動ができて、自分の人生において濃い時間を過ごせたと思います。

でも強豪校で、チームとしてある程度の基礎が出来上がっている中で甲子園を目指すっていうこともやってみたかったなと感じます。欲張りですかね。

高校受験編終わりです。

大学受験編に続く。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!